ありがたい(有り難い)
『有り難い』は仏教に由来しており、
有ることが難しく、
「めったにない」「奇跡である」
という解釈があります。
その反対の『当たり前』。。。
仕事をするのは当たり前
そうやって生きるのは当たり前
息をしてるのは当たり前
私たちが生きている世の中は
この『当たり前』なことで溢れています。
【当たり前は虚しい】
私が若かりし頃、(つい数年前ww)
先輩に
『私たち看護師って、ずっと交替勤務で朝も夜もちゃんと働いて、
よく考えたら、これって凄いな~偉いな~って思います。』
と言ったら、
『かざまさん、それは当たり前のことです』
と、
一刀両断
されたことがありました。
あの斬られた(笑)感覚は20年経った今でも
よく覚えています。
私にとって交替勤務は、
相当色々なことを工夫して調整して
努力してきましたから、
『それは当たり前』
と言われて、
その頃は、何も言い返すことができませんでした。
「交替勤務は当たり前のことなのに、私はこんなに毎回必死なんだ・・・」
口にはしませんでしたが、
仕事に対する「虚しさ」を感じました。
【当たり前は感謝を忘れる】
このように生きるのは当たり前だ
看護師なので夜勤をするのは当たり前だ
店員だから客におもてなしするのは当たり前だ
当たり前なことは、
とても広い範囲で認知されていて、
その範囲は人にもよると考えられます。
この「当たり前」思考を繰り返していると
有ることが当然と捉えているので、
「有り難い」と感じることがほぼ無くなってしまい、
感謝
を忘れてしまいます。
【まず当たり前思考を手放すこと】
先日、うちの職員に褒めれました
みんなが当たり前と思っていることに、
『大したもんだ。なかなかできることじゃない。よくやってる。頭が下がるよ。』
等々私が言った時、
『当たり前のことなのに、なほさんはいつも前向きに捉えてポジティブなことを言いますね』
「あらっ!そう?」(笑)
と・・・一瞬何を言われたのかわかりませんでしたが、
どうやら、『当たり前思考』が私にはあまりないようです。
『感謝の言葉』や『ありがとう』を使うことはとても素敵なのですが、
まずは『当たり前思考』を手放すと、
物事の見え方が変わってきて、
心からの『感謝』を伝えることができると私は思います
私にこんなにも素敵なフィードバックをしてくれる職員たち。
私のところで働いてくださって
心から感謝しています