No.180 伯母からの宿題

2020年12月17日

10年間、家族として関わった伯母が亡くなりました。
食欲低下の連絡の翌日、朝の挨拶をした数十分後、
息を引き取っていたということでした。


伯母の介護をしていた伯父がALS(筋萎縮性側索硬化症)で入院した
2010年からこの夫婦の世話をして、
伯母が特別養護老人ホームに入居してからは
身元引受人として、キーパーソンとして
役所への提出物、施設への面会、衣服の買い物など・・・
伯母に関わって来ました。


本当にこれで良かったのか?
結果、このようになったとしても
何かやれることはなかったのか?

最短距離で施設入所を決めてしまった
私たち家族はどうあるべきだったのか?

実はずっとずっと心の中にあった葛藤に、
伯母が亡くなったことで
向き合えてます。



【本人に焦点を当てる】

『伯父さんが介護できなくなったのだから仕方がない』
『一人で置いておけない』
『兄弟だって生活がある』


10年前、深く考えることなく
入居できる施設を探し、
入居が決まり

『良かった、良かった』・・・
と何の疑いもなく思っていました。


伯母さんはどうしたいの?


と、なぜ問いかけられなかったのか・・・
当時、認知機能の低下はあったものの、
コミュニケーションは普通にとれていた伯母。

私も母たち姉妹たちも、
それにみんな気づいていたはずなのに
伯母本人に焦点を当てず、
私たち家族の都合を考えていたと思います。




【普通を疑う】

伯父のALSが判明し、
余命宣告、NPPV(非侵襲的陽圧呼吸)の導入など
あっという間に病状が進行していく中、
伯父の入院、伯母の入所に向かって
私たち家族も、ケアマネさんも、
やれることを精一杯やったと思います。

「介護度がある程度高い」→「主な介護者がいない」→「一人になる」→「子供がいない」→「施設入所」

この流れはいたって『普通』なこと。

これを覆すには無理があります。
どうやったって、この流れになると思います。

でも、
これを『普通』と捉えてしまうところが怖いとも感じます。

本当に『普通』なのか?
本当にこれなのか?
伯母にとって『より佳く生きる』ことになるのか?

『普通』を一旦疑ってみることが
必要だったのではないかと思っています。



【意思決定のサポート】

介護の現場では
このプロセスを最短距離で進めなければいけないと
10年前の私は思っていました。
これは急性期病院で退院支援をしたり、
ベッド稼働率を気にしながら仕事をしてきたので、
殊更にそう思ってきました。

伯母の場合も、家族の方針を伯母に説明して
さっさと決めていました。

だって、
「介護度がある程度高い」→「主な介護者がいない」→「一人になる」→「子供がいない」
のだから、施設入所は必要。

今、伯母を亡くして
思うことは、

家が大好きだった伯母に

伯母さんはどうしたい?
どこで生きたい?


となぜ問いかけられなかったのか?

施設を拒んだとき、
私は姪として

伯母さんに施設に入って欲しいんだ
その方が安心なんだ


となぜお願いできなかったのか?
面倒かもしれないけど、
時間がかかるかもしれないけど、
このやりとりは

介護が必要な高齢者本人を尊重する
大切な手続き

だったのではないかと
痛感しています。


もしかしたら、
ケアマネージャーさんたちは、
本人の意思決定より家族の方針が優先される状況に
心を痛めているのかもしれません。

『少子高齢化』
といますが、子供も高齢者どちらも本人の意思決定より
家族の方針が優先されやすいのではないでしょうか?


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10年間、伯母に関わってきて
伯母は「より佳く」生きているのか?
いつも気になってきました。

亡くした今、
私は人様の「より佳い人生」をどうサポートしていく使命があるのか?

いつも私を可愛がっていた伯母との写真を見ながら
その宿題に向き合っています。