No.164 「褒める」行為は諸刃の剣

今日は朝から3人のクライアントさんとのセッションでした。

ご自身の実務上の課題や
ご自身のあり方について、
ごちゃごちゃになった思考を整理するプロセスに立ち合わせて頂き
改めて、


われわれは、
他者の期待を満たすために生きているのではない

(嫌われる勇気より)


と痛感しました。



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「いい気」は本質を欠く

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私が現役の看護師の頃、
手術室での勤務が6年にも及びました。

当時は本当にキツイところで、
毎日毎日怒られていたのを覚えています。
現在なら問題になってしまうような
ハラスメントも

フツー

に繰り広げれれていました。

私は一心不乱に勉強しました。
解剖を覚え、
検査データを覚え、
リンパ節の位置まで覚えました。

怒られないために
勉強していました。



ある時、
血液検査のデータを取りに行った帰りに、
必要そうな薬剤と輸液ポンプを持って
Op roomに戻ったことがあります。
その時、麻酔科医に、
「お前、よくわかったな~!偉いぞ!」
と褒めてもらったことがありました。

その辺りから、私は

「いい気」

になっていきました。
医師に褒めてもらいたくて
一生懸命勉強して、
「いい気」になって仕事に向かいました。


今になって振り返ると
その姿勢は私が目指すべき
『本質』ではなかったと思います。




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他者のジャッジは一貫性を欠く

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若さゆえでしたが、

他者から褒められたり、
ダメ出しされるたびに、

そのことだけに集中する癖がついていきました。

基準は

褒められるため

でした。

Aについて褒められたら、
それをもっと伸ばそうとしたり、
アピールしたりといった行動をとりました。

Bについてダメ出しされたら、
それを克服し、
次は褒められるようにしようと行動しました。

今日はA、明日はB、2日後はC・・・・

全て単発で手をつけていて、
一貫した信念などは
全く存在していなかったのです。


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他者の問いかけは灯台

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そんなある日、
部署のミーティングで
私は「いい気」になって
様々な意見を述べました。
すると、先輩が、


あなたは、ナイチンゲールの言う
『生命力の消耗を最小限にする看護』
についてどう思う?


と私に問いかけました。

私は何も言えませんでした・・・


何しろ、
他者の期待に応え、
褒められたくて勉強し、
仕事に向かっていたからです。
その行動には全くもって
一貫性も継続性もありませんでした。

問いかけられた瞬間、
孤独な自分が暗闇にいることに気づきました。
これまでに築き上げたプライドが
いとも簡単に崩れました。



しばらく葛藤しましたが、
解剖生理や手術の参考書はほどほどに、
ナイチンゲールの
『看護覚え書』
を何度も読み返しました。
そして、プロ意識が芽生えてきたのです。


おそらく、この先輩の言葉がなかったら、
私が20年以上も看護師を続けることも、
教育に携わることもなかったことでしょう。
先輩の問いかけは
私にとって
『灯台』
の役割となりました。


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ユダヤの言葉に
自分が自分のために人生を生きていないのであれば
いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか


という言葉があります。


一人一人が『自分』の人生を生き抜くための環境が

会社や組織であってほしいと願うばかりです。